Kamaseinu-v2

ついにまた自サイトで語る時がきたのだ。

What Remains of Edith Finch 『フィンチ家の奇妙な屋敷でおきたこと』

アしました。

(!)ここから全てネタバレ配慮なし

爆裂に寄ったけどめちゃくちゃいいゲーム(ゲーム体験?)でした。

ほんと、ポータルも目じゃないくらい酔ったけど。こんな良いゲームセールとはいえ180円で買ってるのなんなの?

冒頭のエディスの語りから出てくる不穏なワード、ミルトンの失踪とルイスの葬式。そこから異常な形態の実家、そこにいくまでの道のり、断崖絶壁、そして生活感のありすぎる室内。めちゃくちゃ酔いながらぐいぐい引き込まれ、ゲームの世界にのめり込んでいく。

一族の呪いの物語なんだけど共通点はただ短命ということだけ。死人がたくさんでてくるけど怖い雰囲気は微塵もなく、なぜか親戚たちへの愛しささえ滲む。

ネズミの餌はまだしも、歯磨き粉までたべてしまうモリーの異様な飢餓感と、見るからに荒れている子供の手。理由があり夕飯を与えられなかった?(もしくはもう食べてた?)猫になりサメになり最終的には異形のモンスターへ。ファンタジーな表現ともとれるけれど、現実におきたことの示唆や夢、妄想であるとこちらに想像させる説得力もある。

バーバラ、ルイスの死因の追体験の表現は特にすごい。右手と左手でなぜか違うことができる。現実世界みたいに。妄想が現実を侵食してくる。

フィンチ家の人間は、願望を叶えると死んでしまうのでは?という考察(ともいえないようなブログ)を見たけど、ミルトンのせいで精神がまいってしまったルイスが最期、王冠をかぶった人物にこうべをたれるのは、ルイスが妄想の世界に囚われつつも心の奥底で兄弟への申し訳ない気持ちが最上位の存在としてあったからなのかなとおもうとぐっときてしまう。断頭台にみたてたシャケの頭を切り落とすカッターにはさまってしまったのかな?などと想像する。

逆にルイスの死因は想像もできない。現実とファンタジーの間にある死因で絵の向こうにいってしまった。扉が関係してるのか。もっと部屋の中を隅々まで見たいけど、マジのマジにゲーム酔いがやばい。永遠に休憩している。

 

ドーンはこの一族の呪いに耐えきれないというより、もう耐えたくないと思ってしまったのかもしれないけど

この家のみんなの部屋はこんなに生活感に溢れている、好きなものに囲まれて全員が暮らしている。ワールドエンド・シンドロームでも言ってたけどさ、部屋が簡素な人はいつでもこの世界から去る準備ができてるって。ここの家の人たちは短命の呪いを知っているけど、誰も部屋が簡素じゃない。(しいていえばグレゴリーとガスの部屋?)誰もこの世を去る準備をしていない。だからこの家にだって幸せはあったんじゃないかな…。呪われていても。とか思う。